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本能寺の変が、姫路事変になっていたかも?二段階謀反説。

本能寺の変が、姫路事変になっていたかも?二段階謀反説。

2021/06/02

今日は、6月2日。日本史上最大の謎、本能寺の変が起こった日。

歴史のif。もし、本能寺の変がなかったら・・・。

としても、本能寺の変がなかったとしても、次の本能寺の変に似た事変が起こる説。を提唱します。

名付けて、秀吉さんによる二段階謀反説。

信長さんの人となりを伝える信長公記。そして、様々な説を踏まえ、状況を勘案しながら勝手に想像。信長さんを安土から誘い出す秀吉さん。中国への道すがら、荒木家の残党、和睦したとはいえ本願寺教如上人派閥の不満、波多野家の残党、その他、身を落とした浪人、忍び等々、遺恨の渦は、そこら中に渦巻いていたのでは?と、考えます。

本能寺の変がなかった場合、どこで起きるのか?も、想像。言わずもがな。毛利家討伐の最前線、姫路周辺、姫路までの道中のどこか。そして、その地域を治める人。変前後の秀吉さんの行動が、正確で早すぎる上、変の確信を得ている節があり、抜かりなく、不可解、極りないです。

毛利家討伐の最中、信長さんを呼び出しておいて、変が起きると、毛利家と都合良く和睦後、すぐに全速力で、とって返す。もし、情報がデマだったら、どうするつもりだったのでしょうか?信長さんが来る事になっているのに?北陸戦線で柴田勝家さんと衝突して兵を引き上げ、信長さんの大怒りを買った後、なんとか許され、今度は、再び、中国戦線で、情報が錯綜する中での勝手な行動???

と、考えると、本能寺の変は、秀吉さんから見た場合、青天の霹靂ではなかった。心当たりがあり、準備していた。という可能性が高い気がします。

前後の行動や出来事。信長さんを安土から、おびき寄せ、毛利家との和睦交渉、異常な速さで、中国大返し。山崎、賤ヶ岳、小牧長久手の戦いの後、旗印信長さん四男・養子秀勝さんの夭折。最中、信孝さんを自刃へ追い込み、下克上後、実質的な織田家相続後の信雄さん改易。毛利家、小早川家、敵であったはずの毛利一族への厚遇。信長さんの敵、上杉家の重用。織田家に恭順していた北条家討伐。

本能寺の変というのは、秀吉さんの(分かりにくくした)謀反、用意周到な二段階準備説。だった気がするのです。

第一段階として、秀吉さんが、光秀さんへ不満を募らせる為の工作活動、長宗我部家対応等による不満から誘発させる(本能寺の変を起こさせる)、起こらなかったとしても、第二段階、姫路周辺での信長さんに恨みを持つ敵対勢力を唆し、事変を起こし、そして、討伐する(中国大返しの事前準備)。

結局、本能寺の変がなくても、姫路の事変が起こっていた可能性が高い気がとてもするのです。

何が起きてもいい様に、準備をしていた秀吉さん。

表向きは別として、本心は、信長さんと良好な主従関係でなかった様に感じます。信長さん横死後、ヒデさんは、信長、と名前で、しかも、呼び捨てにした書状の発見や、勇猛ではあったが良将ではなかった等のヒデさんの恩人への敬意を欠く信長評を読むに付け、そう感じるのでございます。

筑前、惟任、惟住、九州を意識した官職。近畿周辺での織田一族の地盤固め。毛利家討伐後の九州平定計画、その後へと続く道。外様から異例の抜擢をされ、統一後に用済み、使い捨てにされる不安。先を見据えた優秀な2人の心の中の葛藤。それらが、光秀さんに魔を指さし、秀吉さんに腹を括らせたという遠因になったのかも知れません。

本能寺の変がなかったとしたら、次の事変に繋がった可能性を思わせる秀吉さんの数々の行動が、歴史の闇に埋もれてしまっている気がするのです。

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